中原区のホームグラウンド等々力陸上競技場!

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等々力陸上競技場

ベルディ、フロンターレと名だたるチームのホームとなってきているわが町中原区のグラウンド等々力陸上競技場がある、等々力緑地。
川崎市民の憩いの場であり、陸上競技場のほか、体育館、野球場、プール、テニスコートなどのスポーツ施設は充実!更に博物館まで同敷地内にあるのだから、これまたウレシー限りです。天気のいい週末に多摩川をお散歩しながら、寄ってみてはいかがでしょうか?地元のみなさんが、毎週のように通われているかもしれない、その等々力緑地を見直してみました!

川崎市等々力陸上競技場(かわさきし とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地内にある陸上競技場。球技場としても使用される。施設は川崎市が所有し、川崎市公園緑地協会が指定管理者として運営管理を行っている。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する川崎フロンターレのホームスタジアムとして知られる他、日本陸上競技選手権大会などの陸上競技大会が開催されている。

等々力陸上競技場の歴史

黎明期

1941年の内務省の等々力緑地の都市計画に基づき、整備中の等々力緑地内に1964年より陸上競技場の建設が開始され、1966年より供用を開始した。メインスタンドに観客席が配置され、バックスタンドとサイドスタンドは芝生が貼られた。等々力緑地の整備の進展に合わせ、1968年に競技場の外周道路が整備され、1969年に競技場前広場が整備された。

当初より多目的競技場として、陸上競技の他に、トラック内の芝生コートでサッカー、ラグビー、アメリカンフットボールといった球技場としても活用された。

1981年にはメインスタンドの一部に屋根が設けられると共に、サッカー・ラグビー兼用のスコアボードが設置された。

1993年から1996年まで

1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時には、読売クラブが改名したヴェルディ川崎がホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であり、J1規格を満たさないなど施設拡充が間に合わず、ピッチに敷設された天然芝の剥がれや枯れを隠すため、緑色に塗装した砂をピッチに散布して急場しのぎを図った。

当時、Jリーグ一の人気チームであったヴェルディのチケットは入手が困難となり、チームの高い人気にそぐわない小さなスタジアムであるとしてヴェル ディやそのサポーターからの不満を更に強める結果を招いた。一方、ヴェルディはJリーグ発足前から東京都への移転を希望しており、チームを引き留めるため にも施設整備は急務で、川崎市の長期構想では川崎区臨海部に国際級スタジアム(5-7万人規模)を建設する構想まで盛り込まれた。

その後、同年秋から2年間をかけてメインの陸上競技場でスタンドの増築を施すことになり、まず1994年秋にゴール裏(サイドスタンド)を立見に、バックスタンドを二層スタンドにして1万6000人収容で仮オープンした。1995年に はゴール裏も二層式となり2万5000人収容でグランドオープンした。併せてオーロラビジョンをホーム側ゴール裏、得点掲示が出来る電光掲示板をアウェー 側ゴール裏にそれぞれ設置した。日本リーグ、及びJリーグ開始当初は第3・4コーナー付近のホーム側ゴール裏スタンドに磁気反転(チーム名表示は手書きパ ネル)スコアボードがあったが、改修で取り壊され1995年の仮オープン時はトラックに仮設の電光得点盤(これもチーム名表示は手書きパネル)を設置し た。バックスタンド一階には大型の入場口とスタンドに続くコンコースが設定されている。ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシッ プでの主催試合をいずれも東京都内の国立霞ヶ丘陸上競技場で開催し、川崎市との関係が一層疎遠になる原因となった。また、この頃からヴェルディの観客動員数が急減し、グランドオープン後の等々力は閑散とするようになった。

このころは東芝サッカー部も当競技場を本拠としてジャパンフットボールリーグ(初代JFL)を戦っていたが、札幌市からの本拠オファーの依頼などから、1995年を最後に移転、コンサドーレ札幌となった。